回想記
リネージュを始めたあの頃。 まだベガサーバにDKは存在していなかった。 当時、ベガが誕生して2週間か3週間後だったと思う。 何か面白いパソコンゲーム無いかなと、机をあさっていた時 ふと、「そういえばヤフーBBのルータにゲームがついて来ていたな」と思い出した。 半年も前のことなのに、そのCDの事を覚えていた。 確かディスクの表面には男WIZが写っていたっけ。 ネットゲームなんてやったこともなく、右も左もわからずに、とりあえず男WIZにPajaと名づけてスタート。 初めて喋った言葉が歌う島の初心者インストラクターに向けて「ありがとう」だった。(笑) キャラクターの性質がわかってきて、2度ほどPajaを作り直したっけ。 全部男WIZだった。 ウィザードが自分に向いてると思ってたから。 始めはオーク倒すのも必死だった。 というかイノシシにあっさり倒された。 「うわっ イノシシ強い!」なんて喋ってたっけ。 カカシなんて知らなかったから、レベル1から4の半ばぐらいまではウサギや鹿、カエルやゴブリン何かを倒していた。 エネルギーボルトとヒールを覚えてからは、オークにも手を出すようになった。 話せる島で初めて出会ったゴーレムに驚いて逃げ周ったこともある。 逃げてる途中、クモに襲われて、その後しばらくクモ恐怖症になったなw 友人と狩りしてるときも、「クモが出たらすぐにランテレ出来るように一言「k」って言おう」と決めた。 「クモ討伐隊募集~」とジャイアントスパイダーを相手に戦いを挑もうとしている人たちは羨望の的だった。 歌う島で魔法ライトニングを使っていた人に「凄いですね」なんて声をかけたりして、その人に色々教わった。 Lv12までの魔法を全て覚え、ある程度自身がついたのでメインランドに行くことにした。 初めて乗った船には興奮したよw メインランドを知ってからは、世界はこんなに広いのかと驚いた。 そして、村の掲示板を見るようになってクランの存在を知った。 最初に入るクランだから、しっかりした所を選ぼうと思って全チャをずーっと見てたな。 当時、まだβ版でしたから、Lv15から全体チャットが可能だった。 バグとか報告するのに全チャが使われてた。 そして、コレだと思ったクランのプリにwisを送って、快くクランに迎えてもらえた。 色々教わって、試練のことも知った。 今は無くなった旧試練でSOMを手にしたけど、全然当たらなくてゴミだと思った。 しばらくロングソードで狩をしてた。 進められて蟻穴にも行ったけど、とてもじゃないけど無理だと思った。 子アリで精一杯。GASが画面に見えたらすぐランテレしてた。 この狩場は合わないと思って、相変わらず砂漠の端っこで弱いモンスターと戦ってた。 骨セットは安くなり始めた時期で、骨盾が15k程度だったかな。 今ではゴミ当然のアイテムだけど、初心者時代はみんな重宝していたはず。 その装備で、ZELを買い集めてTシャツの強化をしたり、WIZセットを購入してZELを張ってた。 でもクランのナイトが「刀にDAI張ったら世界変わった」と言ったのがきっかけで、ZELよりDAIの方が重要じゃないかと思い始めた。 そこで、DAIを集めることに変更した。 防具は中途半端に強化されたままだったけど、武器を強くしたらヒールが使えるWIZは効率よく戦えると思ったから。 そしてDAIをSOMに3枚張ったところで世界が変わった。 今まで無理だと思っていた蟻穴が、簡単な狩場に変わった。 宝石、BP、B-Tele、GP、その全てが商売に使えるアイテムで、お金もすぐにたまって+6SOMが完成した。 レベルも30ほどになると、ハイネに行くようになった。 でも、丁度アップデートでハイネが沸くようになってて、何度も死んだ。 やっぱり蟻穴が安全だと切り替えて、蟻穴にこもるようになった。 防具もFULL-ZELになり、狩場の範囲は広がってたんだけど、手堅く稼げる蟻穴が一番気に入ったのさ。 レベルも40を超えた。 でもその頃、リネージュが課金制になったんだ。 課金して続けることにしたのだけど、大学に入学って事もあってしばらくリネージュから離れた。 そして6月ごろに復帰した。 前に居たクランは解散していた。 でも新しいクランに入る気はしなかった。 そのまま単騎で蟻穴にこもって、レベルも44になった。 ふら~っと歩いていたグルーディンで、四月に降る雪血盟のプリと出会った。 名前が水乃星透子。 好きな小説に出てくる登場人物の名前だった。 クランの名前のセンスも気に入って、声をかけてみたら小説の話ですぐに盛り上がった。 そのまま四月に降る雪血盟に入ったのだけど、まさか何年も居つくことになるとは・・・。 当時四月クランに居て、その後長くリネを続けてるのは駆け出しナイトのDesaと、頼りないエルフのエフィメラ。 しばらくして、流王やスノーライト、和臣が加入して、楽しいクランになった。 クラハンが盛んで、クランHPも細工が素敵だった。 クラン員で毎日回してた日記も楽しかった。 その日記はクラン以外の人も見てくれてたようで、好評だった。 1年半ほど四月クランで過ごした。 だんだんと人も減って、それぞれの事情でリネを離れていった。 Desaも有名戦争クランに入って、狩りを続けてLv50になっていた。 しばらくして、クランを離れた。 Lv50WIZの石田晴子に憧れたから、自分もLv50を目指そうと思った。 そしてリネージュ公式からクランのリンクを見て周って、 Meditation血盟を見つけた。 そこの盟主の日記が面白くて、その輪の中に入りたいと思った。 便箋を送って、加入することになった。 でも丁度リアルで頑張らなきゃならない時期で、加入したはいいけどリネから離れて行ってしまった。 半年ほどたって、再びリネージュに戻った。 きっかけはエフィさんが書いていた四月クランの日記だった。 「こんなことがあったよ~」ぐらいの気持ちで書かれていた日記だった。 それを見るまで、リネージュに戻ろうとは思ってなかった。 リネージュ2も出てることだし、そっちも良いかな何て思ってた。 でも、エフィさんの日記を見て「リネージュってこんなに楽しかったんだ」って思い出したんだ。 だから戻った。 そしてLv49だった俺はLv50を目指すことにした。 回線もADSLから光ファイバーになって、切断死もラグも無くなってた。 その後はblogに書いてあるように、Medi血盟の幻人とFIに行くようになった。 毎日0.5%の経験値を稼いで満足していた俺を見て、「手伝ってやるか」って感じでFIに誘ってくれたんだと思う。 そしてリネージュに出会い、4年と2ヶ月・・・ ついにLv52を達成した。 四月クランに入った当時、Lv52を達成した人はDKプレイヤーと呼ばれ、羨望の対象だった。 PTの中に一人DKが居れば、安心感があったし、他のPTとすれ違うときに自慢したい気分だった。 当時のDKプレイヤーというのは本当にカッコよかった。 強くて、頼りになって・・・。 俺はそんなDKプレイヤーになりたかった。 PTに一人居れば他のみんなが安心できるようなDKに。 2006年3月13日、もうDKに憧れてから3年半経ったのかな。 ついにLv52を達成して、DKになれた。 俺は、自分が憧れたDKプレイヤーになれたのだろうか・・・。 もしあの時、四月クランに入って居なかったら。 もしあの時、エフィさんの日記を読んでいなかったら。 もしあの時、幻人と狩りに行っていなかったら。 多分、今のような気持ちでLv52を迎えることは出来なかったと思う。 あの時出会った仲間が居たからこそ、憧れのDKプレイヤーになれたと思ってる。 画面を見るとそこにはDK-WIZがいる。 それは自分が憧れたDKであり、自分がそのDKなのだと、そう思いたい。 さぁて、明日からもこのリネ日記を読んでくれてる人が「リネージュって面白い」と思ってくれるような日記を書くかな。
by paja1206
| 2006-03-14 23:59
| リネージュ日記
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